2016年9月20日火曜日

映画おすすめ!相互理解のための声の形!聲の形の評価!

はじめまして
橋本浩幸と申します。

今回は、映画「聲の形」の
評価をご紹介します。

映画「聲の形」のパンフレットと半券

聲の形と文部科学省が
タイアップした作品です!!

題材が複雑なだけに、
いろいろな見方や様々な見解が
出てくるそうです。

アニメと思えないような深さや、
リアリティを感じました!

結構、真剣に見ましたが、
まだまだ理解が及ばない、
深く、難しい作品でした。

そうは言うものの、
何かを感じることができて、
考えさせられる内容なので、
かなり面白かったです!

目次


  1. はじめに
  2. 評価
  3. まとめ

はじめに


映画「聲の形

原作「大今良時」全7巻の漫画があります。
映画版は、文部科学省と
タイアップした作品です。

文部科学省は、
いじめや自殺など子供のSOSに対する取組や、
障害のある子供への特別支援教育を進めています。

映画「聲の形」とタイアップすることによって、
このような政策に対する理解・
普及を図りたいと考えています。

映画「聲の形」

映画では、主人公の少年が、
転入してきた聴覚障害者である
少女に好奇心を持ち、
あるきっかけから自分自身が
クラスから孤立してしまうものの、

5年の時を経て、少女との再会をきっかけに
過去の過ちへの償いを試み、
少女をはじめ当時のクラスメイトとも向き合い、
理解し認め合っていく様子が描かれています。

これは、文部科学省の施策である、
いじめや自殺防止、
インクルーシブ教育システムの構築や
障害者理解を普及啓発する趣旨にも
沿っていると考えられます。

映画「聲の形」:文部科学省


あらすじ



西宮硝子が転校してきたことで、小学生の石田将也は大嫌いな退屈から逃れる。しかし、硝子とのある出来事のために将也は孤立し、心を閉ざす。5年後、高校生になった将也は、硝子のもとを訪れることにし……。


評価


タイトルの「聲の形」の意味ですが、
声にはいろいろな種類があります。

実際に聞こえる声、
思っていても声に出せない声、
思わず出してしまった声、
自分の心の声、
聞こえないから聞きたい声があると、
脚本「吉田玲子」は述べています。

この作品は、様々な声の形を
感じることができました。

前置きはさておき、
題材は、小学校に耳の不自由な
女の子が転校してくるお話です。

いじめに対して親目線の意見や、
いじめを受けている当事者目線
意見が存在すると思います。

その中で、障害者の接し方について、
様々な対応や対策がある現実で、
果たして、その対応や対策は
正しいのかを考えさせられました。

映画「聲の形」

あるシーンで、植野という生徒が、
西宮に対して、耳が不自由だからと言って、
自分のやりやすい方法、
自分を理解してもらう方法、
または、自分を理解してほしい、

このような自分視点な考え方や、
自分の価値観を他人に押し付けていると、
意見しているシーンがありました。
このシーンが頭から離れません!

決して、いじめている石田に
全て非があるわけではなく、
災いの種は西宮が撒いてると…

本当は、自分が変わらなければ、
気持ちは一方通行であると、
違った見方の意見をしていました。

もちろん、石田の周りの人間に、
いじめを行っている張本人の
石田を批判する人間も当然います。
しかし、様々な意見、様々な声の形が
存在することは確かでした。

正誤の問題は抜きにして、
植野の意見もあるのだなと認識しました。
植野の昔に語られなかった心の声が、
その時、実際の声に表現されました。
声の形のメッセージ性を感じます。

そして、映画の特典に付いてくる、
special bookという、
特別書き下ろし冊子が付いてきますが、
映画を見終わった後に読んでみました。

映画「聲の形」のパンフレットと特別書き下ろしspecial book

すると、植野が言っていた言葉と、
西宮の母親が娘を普通の学校、
つまり、支援校に入学させなかった、
意味がリンクしました!!

人は、声に出さなくても、
心の声というものが存在し、
言葉の真意意図は心の声に、
あるのだなと思います。

幸い心の声を表現してくれる場面があり、
私に理解しやすく教えてくれます。

しかし、世の中には心の声を
表現してくれないのがセオリーです。

理解してもらうのではなく、
自分が積極的に理解する立場になることで、
救いや、許しがあるのだなと教えられました。
互いに理解するということが、
本当の理解に繋がるのではないでしょうか?

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まとめ


ここまで読んでいただき、
ありがとうございます。

正直、よくあるお話で、
障害者を理解してあげましょう的な、
生ぬるいイメージをしていました。

しかし、様々な意見、考え方を
突きつけられる物語で、
個人的には、ガツンときた作品です。

また、「聲の形」は日本語字幕版の
上映も決定しています。

ただ、2016年9月24日〜9月30日の間で、
1日1回の上映と限定的です。

この事についてかなりヒートアップした、
議論が繰り広げられています。

映画「聲の形」

まず、字幕という存在のあり方について、
翻訳という行為は本来のネイティブな
言語のニュアンスと違って翻訳されます。

しかも、字幕は短い時間で読みやすく、
短文で訳されていきます。

つまり、本来の伝えたい意図とは、
ズレて伝わってしまう恐れがあります。
ここが一番懸念すべきポイントです。

なぜなら、「伝いたいもの」があり、
製作されているからです。
映画、文学、絵画、音楽等の芸術作品は、
利益重視で製作されているでしょうか?

結果的には利益を生んでいますが、
本来は、「伝えたいもの」があるから、
製作されていて、儲けたいから
製作しているわけではないと思っています。

「伝いたいもの」は製作者の中では、
ズレてはいけないものです。
見る人にズレて伝わることも恐れます。

そして、映画が誰に向けて
作られているかによっても、
字幕についての考え方も異なります。

つまり、全ての人、世界の人に
伝えたいのであれば字幕は必要です。

逆に、特定の人や、理解する人だけに、
伝えることを目的とするなら必要ないです。

「聲の形」の場合、耳の聞こえる人
だけでなく聴覚障害者も含めて、
全ての人が見る必要があるのだと思います。

意図とズレて伝わることを恐れるが、
それでも伝えるべきものがあると判断し、
字幕が付いているのではないでしょうか?

字幕が付くか付かないかで、
利益を論点にしたり、
公平・不公平を論点にするのは、
ナンセンスだと思うっています。